コマーシャル写真や雑誌での撮影、カメラ誌での記事の執筆など幅広い写真活動をされている写真家・桃井一至さん。中学生のころからカメラに触れていたという桃井さんは、どんなことを考えながら写真を撮られていたのでしょうか。高校生当時のお話を伺いました。
「写る面白さより、写らない悔しさが楽しかった」
――写真をはじめようと思ったきっかけはなんですか?
桃井 父親がカメラ好きだったので、家には一眼レフがありました。当時は相当高いものだったから、ほとんど触らせてもらえなかったんですけどね。たまに触らせてもらえても、当時の一眼レフカメラって「オート」で撮れないので、技術がなければちゃんと写らないんですよ。だから当然写らない(笑)。ちゃんと写んないと悔しいじゃないですか。それで、うまく使ってみたい、面白そうだなぁと思って、カメラには興味を持っていたんです。そんな中、中学校のときに文化クラブのようなものの中に、写真コースがあったので、そこに入ってカメラを使いはじめたのがきっかけですかね。
――高校生のときにも写真部だったんですよね?
桃井 そうですね。中学はちゃんとした写真の部活動はなかったので、“写真部”は高校に入ってからです。パソコンやインターネットがある今とは違い、当時の中学生や高校生は「楽器・バイク・カメラ」のどれかを“趣味”や興味の対象として通る、っていうのがなんとなくあったんです。バイクは「三ない運動」があったので乗れず、音感も無かった(笑)。で、残ったのがカメラ(写真)。写真業界自体ではオートフォーカスの一眼レフが出はじめて盛り上がったタイミングとも重なりました。
――写真のどういった部分に魅かれていたのですか?
桃井 う〜ん…。さっきも言いましたが、「ちゃんと写らない」から楽しかったのかな。本当は自分の技術がないから写んないんですけどね(笑)。写らないことが悔しくて、それでまたやってみるっていう感じでしょうか。「写る」って思えてきたのは、カメラを買い換えてからですかね。バイトしてお金をためて、高校1年生か2年生くらいのときに、ニコンのFAを買って、やっと明るさがバラバラじゃなく、ちゃんと写るようになったって感じです。それでも、今の「写真甲子園」に出ている作品のレベルには到底及びませんけどね。
「レンズを修理してくれたおじさんが役員になっていた」
――写真部の人と撮影に出かけられていたんですか?
桃井 そういうわけではなかったですね。写真屋さんの店主に誘われて、一緒に撮りに行ったりはしていました。年長者がいると車に乗せてもらえて、色々連れて行ってもらえましたよ。あと、僕の叔父が持っていたタムロンの望遠レンズを借りていたときに、ちょっとピントがズレて調整が必要になっちゃったんです。それで、当時大阪にあったタムロンの修理窓口にどきどきしながら持って行って。調整後に「いくらですか?」って担当のおじさんに聞いたら「いらない」って言ってくれて! それでずっとその担当のおじさんの名前覚えていて、写真家になってタムロンの広報の方に、そのときの話をしたら「今、うちの役員です」って言われて! びっくりしましたね。ご本人にも会ったんですけど、開口いちばん「代金もらわなくてよかった!」と言っていましたよ(笑)。
「いまの時代、恵まれた環境をたくさん利用してほしい」
――それではそんな、いまの高校生にひとことお願いします。
桃井 好きなことをやる。それにつきるんじゃないかな。今はさ、ホームページとかブログとか、発表する場もいっぱい持てるじゃないですか。利用しようと思えばいくらでもあるわけですよ。東京と地方との格差もそういうことを利用すればないし。僕らの頃は金もない、情報源もない、発表する場もないって感じだったから(笑)。まずなかなかカメラが買えないからね。比較してもどうしようもないけど、恵まれている環境なんだから。その分思う存分楽しんでくださいね! ってことかな。
――ありがとうございました!
学生時代の思い出が次々に。
「いまは“棚の肥やし”だけどね」と当時使っていたカメラを懐かしむ様子
はじめて買ったカメラ。ニコンFA
最近の桃井さんの作品1
最近の桃井さんの作品2

1968年京都府生まれ。写真家の長友健二氏に師事し、1990年に独立。コマーシャル写真や雑誌などで活躍するほか、さまざまなカメラ誌での記事の執筆やアマチュア向けの講演会など幅広く活躍中。
gizmomo.blog.so-net.ne.jp












